きっと、誰もが持っている弱さだと思います。
「いっそ徹底的にダメになってしまいたい」という気持ちの波が、ふと、訪れることがあります。
そんなときは、掃除をして、飯を食います。
それからベランダに出て、深呼吸。
ぼくは、決して人を軽蔑なんてしたくないはずだった。誰かを軽蔑することは簡単だ。簡単だから、多くの人がそうするようになっている。
簡単なことは、いつもつまらない。
暗くなるようなことは何もない。
考えた結果の楽天家でいたい。
そういえば、
実は3年ほど、続けたこのブログを閉じる予定です。
それで今、新しい場所を準備しています。
そこはもう、ずっと使いつづける予定ですから、ちゃんとお知らせします。
ぼくは制作中は部屋を綺麗にするタイプなので、
今は、ちょっとお世辞にも制作モードとは言えない状況です。
この夏も、忙しく動く予定があるので、
整理をすることから始めなければならないなぁ。
むんっ!
仲間と再会した。
文章作品の前編を書いて、そのあとで、この更新が入ってしまうのは、だらしないなぁ。
「仲間」と呼べる人間なんて、ぼくの世界にはちょっとしかいない。
ピエロの筆である。
また、この人たちと、本気でぶつかりあいながら、つくれるんだなぁ。
ぼくは1年経ってもバカのまんま。

男という生き物はみな、かっこをつけて生きている。
どんなにかっこいい男も、
どんなにかっこ悪い男も、
同じようにかっこつけているのだ。
誰が見ても、「バリバリかっこつけてる」といった感じの男もいれば
一見しただけでは「...?」という具合の男もいるが
要するに「かっこのつけ方」、「かっこつけどころ」、「かっこいいポイント」。
それが、男それぞれ違うので
見え方として、かっこよく見える男と、見えない男がいるということだ。
いずれにしろ、男たちはみな、それぞれが信じる「かっこいい」を目指しながら、
基本的には中学生の頃と同じくらいの精神年齢を保ちつつフレッシュな気合で歩きつづけている。
今回、ぼくは「かっこいい」について考えてみることにする。

さて、繰り返すが、男のかっこよさは、「かっこつけているか、つけていないか」というところには無い。
「『かっこのつけ方』がイイ感じか、そうでないか」というところにある。
もしくは、「『かっこのつけ方』が納得できるか、できないか」であろう。
ここは大事なところだ。
ぼくの見解ではあるが、「かっこつけない」ということを成し遂げた男は、歴史上存在していないような気がするのだ。
男にとって、かっこつけないということは、それぼど反本能的な行為である。
しかしながら、
男たちが「かっこつける」その先に目指している究極のかっこいいは、「かっこつけない」である。
ぼくは、このパラドックスを最も重要な点として強調したい。
男の高み、誉れ、憧れ。
それは「かっこつけてないのに、自然にかっこいい」ことである。
ぼくたちは、かっこつけなければならない。
しかし同時に、かっこつけていることをバレないようにしなければならぬ。
神が与えた厄介な使命は、今までにどれだけの男たちを翻弄してきたのだろうか。
「今日がバレンタインデーだなんて、ちっともおれは気にしてませんよー」という雰囲気を出そうとして、
しれっとした顔を作ったことのある全ての男たちに
この懺悔の文章と、ありったけの祝福を捧げたい。
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「男たちの世界」本編 に続く
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